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渡辺 雅子
17歳よりフラメンコに接する。
Benita・ケイ氏、香取希代子氏、マルハ・石川氏、碇山奈々氏に師事。
「新宿ギターラ」「ロスプラトス」などに出演。同時に劇団青俳養成所、シェイクスピアシアターにて演劇を学ぶ。
ひとり芝居ジルベール・ローティエ作「じゃかしい女」を上演。小劇場で活躍。
後故天知茂氏のもとで商業演劇、ステージなどに出演。
これまでの軌跡
1982年 | 4年間のブランクの後、再びフラメンコを学ぶ。 |
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1986年 | 渡西1年間。マノレーテ、メルチェ・エスメラルダ、ラ・タティ、アントニア・マルティネスに学ぶ。 |
1988年 | 碇山奈々New-Year-Concert「アレグリア・アレグリア」に出演。 |
1989年12月21日 | 初リサイタル「私は踊るはるか西へ想いをこめて」を渋谷東邦生命ホールにて、企画開催。 |
1991年 | 渡西6ヶ月。ラ・チナ、マノレーテに学ぶ。 |
1992年 | 依田由利子フラメンコリサイタル「赤と黒」に客演。 |
1993年 | 渡西4ヶ月。アドリアン・ガリア、マティルデ・コラール、ホセ・ガルバン、ラ・トナに学ぶ。 |
1994年 | 第2回フラメンコリサイタル「ラ・インスピラシオン」にアドリアン・ガリアとパコ・アリアガを招聘し開催。 この年から毎年1ヶ月渡西。マノロ・マリン、イスラエル・ガルバン、イニエスタ・コルテスなどに学ぶ。 各地のステージなどに出演、客演。中野にスタジオ「ダンサアール」を新設。 |
1999年 | 新宿御苑にスタジオを移設。「フラメンコスタジオラコンチャ」と改名。後進の指導にあたる。 セビリアでイスラエル・ガルバン、コンチャ・ハレーニョ、アンドレス・マリンなどに学ぶ。 |
2014~2018年、2020年 | 毎年、へレス・デ・ラ・フロンテーラのフラメンコフェスティバルのクルソーに参加。 |
好きなアーティスト
イスラエル・ガルバン
フラメンコの舞踊家の両親を持つ彼は、持って生まれた高い身体能力を以て、普通7・8年かかるクラッシックバレエを2年でマスター。
その後フラメンコ界では独自の世界を見事に創り上げ、数々の主要な賞を受賞していきます。
随分昔のことですが、私は足繫く彼のスタジオに通い、うちのスタジオでも彼のクラスを催してもらった頃、その当時彼は異端児的存在でした。
フラメンコ界のニジンスキーと称され、自分でも「彼の見た夢と同じ夢を見た!」と私に告げていたことを思い出します。
そしてその後の彼の世界的な羽ばたきは、素晴らしいとしか言いようのないものです。
アビニョンの演劇祭やコンテンポラリーアートの芸術祭でも作品を披露しています。
フラメンコの開拓者・冒険家・アイデアマン…そう、天才的な才能の持ち主だと思います。
私は幾度も彼の舞台を観て感動し、その時そこに居合わせた幸せに感謝し、確実に生きて力になっています。